わたしにとって、働くということは『バランスをとる』ことだ。
わたしは昨年の春、コンビニ業界に就職を決めたけど、実はコンビニが苦手だったし、就職活動と並行して、狩猟の勉強をながら、頭を抱えてた。
「わたしは一体なにを仕事にしたいのだろう。」「どう生きたいのだろう。」って。
狩猟・採集な週末を過ごしていると、必ず遭遇するのが“意識の高いエコラー”で、田舎体験、農業体験、野菜の自家栽培、シェアファームなどなど、「体験」という都合のいい言葉を多用して都心部に住みながら中途半端な田舎暮らしを満喫しようとするヒトたち。そして、なにかにつけて「命の大切さ」「絆」「エコな生活」とかって呼びかけるヒト。
そのヒトたちの考えを否定するわけでは決してないけど、かれらの意見には賛同できなかった。
だって、わたしが狩猟を始めたのは、複雑な流通工程や製造工程に頼りすぎた食生活を、このまま送り続けることに不安を覚えたからと、単に食べるのが好きで好奇心に突き動かされたに他ならないのであって、「贅沢をしないことが正義で、真の豊かさだ!」なんてことは微塵も考えていないから。
ファミチキが無性に食べたくなることもあれば、狩った肉の処理が面倒なことだって多分にある。
実際、知り合いの猟師のおじいさんたちは狩猟中、山の中で獲物を待つ間、コンビニのおにぎりを食べるのが常であって、「身の丈に合った生活をしよう。」なんて複雑なことは誰ひとり考えちゃいなくて。
都心部に住みながら田舎暮らしを愉しむ経済的・精神的余裕と、ズル賢さがあるヒトはいいとして、日々の労働や生活に追われて、食事や余暇を愉しむこともできずにコンビニ食や冷凍食品に頼り切った食生活をしている人々が日本人のどれほどを占めているのか。
ベランダのプランターでラディッシュを育てて農業を経験した気になっている富裕層ネットワークと、1円でも安く1分でも早く食事を済ませようとする貧困層ネットワークとでは、大きな格差があって、そのネットワークが交わることはまずなさそうで。
わたしは欲深い人間で、どちらのネットワークにも片足を突っ込んで、どちらの魅力も言い分も理解できる存在でありたい。
自分で獲った鹿の肉を焼きながら、コンビニのおにぎりを頬張る生活がしたいし、むしろそんな生活こそが、今の日本社会においてより自然で豊かな生活だと信じてる。
わたしが、コンビニを初めて入社する企業に選んだ理由は、日本人に限らず世界中の現代人の多くが利用しているコンビニの魅力と仕組みを知ることは、きっと今の偏ったわたしのバランスを整えてくれると思ったし、「コンビニ」の新たな価値を創造することがもしできたら、日本人の隔離された各ネットワークの掛け橋となりえるかもしれないなぁっていう、本当に単純で、これまた偏った考えなのかも。